先月のことだが、イトーヨーカドーのフードコートで、コーヒーを飲みながらノートパソコンを持ち込んで、暇つぶしをしていたら、すぐ前の席に、定年退職したような品のいい老夫婦が座り、そこに、「すみません。遅れました」と息せき切って、二十代後半か三十代前半の身なりの清潔な若い女性がやってきた。
白髪の多い夫の方が、「いやいや、大丈夫ですよ」と穏やかに微笑みながら言った。
キャリアウーマン風の若い女性は、挨拶もそこそこに、「ご相談したいことがございまして、わざわざお呼び立てしてすみません」と切羽詰まったような感じで言い、夫人がコーヒーを三つ買って持ってくる間に、品のいい老人に概要を語り始めた。
先月納入した商品が顧客から大量に返品されて、予定していた売上がなくなってしまったとのことで、どうやら資金繰りか何かの相談らしかった。
女性は何かの会社を経営していて、どんな商品かは会話に出てこなかったが、家族の協力の元、政策金融公庫(???だったと思うが、記憶が曖昧)から一千二百万円借りて、さらに、xx信用金庫からも一千万円借りていて、実家は抵当権(?)がつけられ、起業から二年が経過して、来月から政策金融公庫に月々の返済をしなければならないらしい。(何年か前に少し話題になった起業支援の融資かもしれない。確か二年か三年で正社員を雇えるまでにしなければ、融資全額返済という非現実的な内容だったように記憶している)
お金を親族からも借りているのか、役員は全て家族で、借金返済替わりなのか、給料も出しているらしい。
老人の質問の仕方には手慣れたようなところがあって、おそらく元銀行員か、会社経営者だったのだろうと思われる老人は、だいたい次のようなことを言った。
「その事業は将来性があるのかな? いや、私にはあなたのやっている事業のことはわからないが、君がこの先続けて採算がとれる可能性があると思っているのか・・・事業の先が明るくはないのに、会社を続けるのはどうだろう。親族に給与を出しているというが、会社は利益を出してそこから給料を出すものだろう。借金を信用金庫ひとつに纏めたりして考えてみるべき時期じゃないかな」
そう、あくまで穏やかに諭すように語り続けた。
女性は泣き出しはしなかったが、平静を保ちながらも、時々鼻をすすっていて、私はいたたまれなくなって席を立った。
その数週間後、大家さんに、プレハブ小屋の柱が腐っていて補修か建て替えをしなければならない、と言われ、廃屋を直すお金がもったいないし、まとまったお金も用意できてないので、安全のため取り合えず、出てほしいとのことだった。
事務所は電話やインターネットを引いていたが、ほとんど荷物置き場になっていたので、無駄といえば無駄だったが、やはり、事務所があると安心感があって、儲からない個人事業を続ける拠り所となっていた。
新しい事務所を探すことは全く考えなかった。
個人事業についてだけ言えば、普通の事務所を借りたりしたら、最低、年100万以上は家賃に経費がかかり、現在二十万円程度の赤字が、百万円以上の赤字になり、サラリーマン兼業で賄える範囲を超えてしまうからだ。
単なる偶然かもしれないが、
あの老夫婦と若い女性経営者の会話は、他人事でもなかったわけだ。
私は借金もないし、身の丈に合った仕事しかしてなくて、融資が必要なほど大きな事業をしてなかったので、個人事業の採算は取れてなかったが、事務所の廃止が個人事業の廃止になるわけでもなく、変な言い方だが、”サラリーマン兼業ノマドワーカー“に移行することにした。
事務所は十月末で、全て片付けた。