友人の会社が全社的に「コーチング」を導入したという。
いまさら?というのが感想だった。
8年くらい前に「コーチング」がブームになっていたように思うが、どういったものかもう忘れてしまった。
忘れ去られてしまう程度の効果しかないものだったのだろう。
友人はサービス残業が増えたといって嘆いていた。(コーチングの講習や上司からのコーチング面接は仕事とみなされない)
改めて調べてみると、
「対話によって相手の自己実現や目標達成を図る技術。相手の話をよく聴き感じたことを伝え承認し、質問することで、自発的な行動を促す」とウィキペディアに書いてあった。
また、コーチングの必要な要素として、
・モチベーション
・観察
・適切な課題
・コミュニケーション
・考える力
が必要と書いてある。
普通の会社員にそんな高い能力を持った人がいるだろうか。
「コーチ役」の人材確保が、まず困難だ。
それが できるなら、自分で会社を経営したほうが成功する。
また「 目標達成意欲とそのための能力がある人がコーチングの対象になりうる」ともある。(コーチングの解説から引用)
意欲があっても「能力のない人」はコーチングの対象にならない、とは厳しい話だ。
利益追求を目的とする会社経営では、経営幹部の中にしか目標達成意欲はない。
部下となる一般社員には本来自発的な行動は許されていない。労働力を提供して給料をもらっているだけである。
生活のために働いているが、趣味やプライベートの充実が大切という生き方は肯定されていいと思う。(もちろん仕事が好きという人がいてもよい)
このような人は、仕事をきっちりこなしていても「意欲のない人」に分類される。
コーチ役は質問によって気づきを促し、目標達成の努力をサポートしていくらしいが、社員の側に会社に貢献するという「答え」がないならば、コーチングは、上司の「誘導尋問」にしかならない。
「君は会社に貢献する気があるのか?」
普通「ノー」とは答えられない。
「それなら目標達成のために努力するのは会社のためではなく君自身のためだ。それならば当然よりいっそうの努力をしてくれるだろうね」
「ノー」と言えず、いやいや高い目標を設定させられることになる。
そしてサービス残業が増える。
こういった「コーチングの罠」を理解して導入したのなら、この会社の経営者は悪知恵の働く切れ者だろう。
うろ覚えで申し訳ないが、「善意を前提とした計画は破綻する」?といった人がいた。
コーチングは、コーチするほうも受けるほうも「善人」であることを前提としているように思う。
つまりは机上の空論だ。
素朴な疑問がある。
たとえば創業者の家族が社内にいて、皆能力に見合わない高い地位にいる。失敗しても誰も指摘できない。尻拭いをさせられるだけ。公私混同が多く、ルール無視は日常茶飯事。
その人たちが社員に「コーチング」をほどこすことは可能だろうか?
友人の会社は、幹部・役職は全て創業者家族か、親戚である。
社員の士気を上げ、業績をあげるために何とかしようという”前向きな”アイディアであるかもしれないが、ナンセンスとしか言いようがない。
コーチングが有効に働くには、性善説に基づいた数多くの幸福な前提が必要ではないだろうか?
経営者は、やる気と成果を正当に評価してくれる「いいひと」でなければならない。
やる気になって能力を発揮しても給料があがらないとか、毎日残業をして課題をクリアしても残業代が支払われないという現実がある場合、コーチングはうまく機能するのだろうか?
専門家からは、「コーチング」を理解していない。誤解していると言われるだろう。
しかし、マーケットは有用でないと判断したものは捨て去っていく。
数年で名前を聞かなくなるのは、現実性のない机上の空論である証拠だと私は考える。
もし 友人が今の認識を変えて、コーチングが役に立ったといってきたら意見を変えてもよい。